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「何故、私は今ここに居るのか」
主の御名を賛美申し上げます。
ここに私に証の機会を与えられた事に心より感謝いたします。皆様にも神様の豊かな祝福があります様に。私は、この証で、神様の愛と偉大さ、何故、私はここに居るのか、何故、私に神からの偉大な祝福が在るのかをいくつかの神の御導きをふまえて御証出来ればと願っています。
ヨブ記1:20
なにゆえ私は胎から出て死ななかったのか、腹から出たとき息が絶えてもよかったものを。
第二次世界大戦中、未熟児として農家の長男として誕生した。産婆さんはこの子は多分駄目でしょうと両親に告げたと言う。
十年程前の冬、凍結のI-5の道でスピードを出して追い越しを掛けた後に道の中央で車が、2,3回回転して止まった。その時、妻も私も車も無事で我が家に帰った。その時も、後ろから車でも来ていたら、又、道の右側にはガードレールが無いのに後で気がついて、ゾーとした。何故、その時も命が守られたのか。
つい最近、職場で車庫の重いドアが音もなく私の立っていた直ぐ側に降りてドーンと落ちた。もし、ドアの下にでもいたら重さのために、確実に重症又は、死んでいたであろう。
何故、ここでも私は死なず、神は、この私を守り生かしたもうたのであろうか。これ等の3つの出来事から、私は偶然に助かったので、奇跡が起こったのでもなく、神に守られて生かされている事に感謝感激を覚えるのである。神は何んの役にも立たぬ者をこのこの地上に送れる程愚かではない。私の命が助かり今も健在で在ることは、神は未だこの様な私の様な者でも、必要とされて居られると言う事である。
マタイ6:33
神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば、これらのものは全て添え与えられる。
今、私は我が人生最高にして最大の全てに恵まれた日々が与えられている。以前、人がこの世にあって、全てに恵まれる様な事は、在り得ないと思っていた。でも神はこんな私に地上最高の幸、健康、日々の食べ物、霊の友、教会、教会の牧師、仕事、妻、3人の子供、土地、家、車、日々必要を充たすお金、聖書塾への夫婦での参加、Hood
Riverの大自然の恵み、等々。数えてみよ主の恵み。。。。神は何の目的もなく、この様な素晴らしい恵みを、私の様な者に訳もなく御与え下さる事は絶対に無いと思う。この素晴らしい恵みは、何か神様のご計画の中に私を組み入れて下さっていると信じる。それが何か、今、私は薄々感じかけて来ている様に思える。
今、与えられている恵みの一つ一つを、私は、神から来た宝物の様に大切に感謝と感動、感激と我が魂で受け止め益々日々の生活を充実させ主の栄光の為に全身全霊で前進しなければと思わされる。
神の愛を知った者は、人のために何かをせざるを得ない、それが我が魂をゆさぶり、人の魂をも揺さぶる事に広がるものであると信じる。人生には種々の決断をしなければ成らぬ事が多い中で、しまった事をした、こんな家なら買わねば良かったとか、こんな仕事なら就かなければ良かった等々と、深い考慮の後でさえ後悔が残る事が多いのが人生である。でも、イエスキリストを我が救い主と信じて、今だかって一度も後悔の念は無い。なんと言う素晴らしき事であろうか、それは、私が真実、誠の神を信じているからである。アメリカに移住して居なければ、私は日本に居ては絶対に、イエス様を我が救い主として受け入れる事は無かった。アメリカに来て、まさか、クリスチャンに成り大きく我が人生が変えられ、聖書塾に学ぶとは誰が予測できたであろう。これは、正に神の導き以外には考えられない。
ヤコブ4:8
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたに近づいて下さる。
この2年間の聖書塾の学びで、私は神に近づけたのではないかと思う。そして神が身近に感じられると言うことは、神が近づいて下されたと言う事であろう。任と言う素晴らしい事であろうか。私は更に、神に近づける様、祈りたいと思う。もし、この様な事が可能なら、可能な限り神に近づき、出来れば神と直結出来ればと願うものである。
マタイ19:26
それは人には出来ないが、しかし神にはどんな事でも出来る。
わが神、わが神、
なにゆえ、この様な私を救ってくださったんですか
本来なら地獄に落ちるべき者だった
この何の価値無きに等しい私を救って、どうなされるのですか
でも、神が私をJIBC、そして聖書塾に導きたもうて幾年
他人のため、世のために奉仕せよとの御言葉
無限の希望と夢に生きる私を変えて下された
神様ありがとう、感謝と感激の涙が溢れます
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